瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

瀬戸内海地域における段畑放棄後の植生回復過程の解明 ―土地資源利用の歴史的変遷とその生態系への影響の記録―

独立行政法人 農業環境技術研究所 徳岡良則

活動の目的

日本国内では近年、耕作放棄が急速に進行し、農地の有効利用および効率的な管理の在り方が盛んに議論されている。耕作放棄の後に成立する植生の姿は、土地利用履歴(例、耕作放棄からの年数、周辺の植生配置、土壌環境の改変、除草作業の有無など)に応じて多様に変化することが知られている(Cramer et al. 2008)。
瀬戸内海西南の沿岸丘陵部は広く段畑として開墾され、桑、甘藷、麦、柑橘、ジャガイモなどの栽培が各時代背景や地理的条件の下、営まれていた( 原田 1994;宮本 2006)。しかし沿岸集落における家計収入の中心が養殖業等へ変化して以降、段畑の放棄に伴う雑木林の拡大が続いている(写真1)。しかし中世から近年まで、沿岸漁村の人々の暮らしを支えてきた山地斜面での段畑耕作や林産物資源利用とその停止が、生態系にどのような影響を与えてきたかについての検証は十分ではなかった。
そこで本研究では、段畑耕作や薪炭材採取の停止の後に成立した山地斜面の森林植生の植物相と、土地利用の歴史的変遷や立地環境の関係性を検証し、瀬戸内海沿岸丘陵部の植生回復の将来像を予測することを目的とした。

活動の経過

調査は愛媛県宇和島市と愛南町に位置する由良半島で行った。近隣の愛南町御荘で観測された気象データの平年値によると、年平均気温は16.8℃、年降水量は1902.5mm だった。第二次大戦以降の複数期の空中写真判読の結果および地元住民からの証言によると、1960年代半ばから1970年代前半にかけて真珠養殖業が発展したことに伴い、段畑耕作の放棄が半島のほぼ全域で一斉に進んだ。そのため段畑の平均的な放棄年数は40 ~ 50 年に及んだ。近年はウバメガシの製炭材採取のための伐採、人家傍の小規模な段畑の家庭菜園利用が一部で見られるが、その他の大部分の山地斜面は利用停止の後、森林植生へ変化していた。植生調査は、2013年5月から9月にかけて、過去の土地利用の異なる4つのタイプの森林、合計83地点で行った(図1)。各地点で100㎡の調査区を設け、森林植生の各階層に出現したすべての維管束植物の被度と群度を目視で評価した。

活動の成果

今回の調査で確認された高等植物は、シダ植物が11科33種類、裸子植物が5科6種類、被子植物が67科207種類の計83科246種類だった(徳岡・橋越 2013)。
相関分析の結果、過去の土地利用および空間配置が森林の植物種の分布パターンに強く影響することが示唆された(PERMANOVA 検定、P < 0.05)。また指標種分析により、放棄以前の各土地利用を特徴付ける種群を検討した結果、石垣化された段畑放棄地では、林床の石垣部にオニヤブソテツ、イシカグマ、オオイタチシダ、トラノオシダ等のシダ植物が多く出現していた。石垣化に伴うシダ植物の増加はフランスの市街地でも同様の事例が報告されており(Daniel andLecamp 2004)、石垣という特殊な基質環境の人為的創出に伴い、植物相の分布傾向が変化する共通の現象と考えられた。また段畑には共通して、つる植物や先駆性の落葉高木が指標種に含まれ、周辺二次林に比べ植生発達の年数が短い現状を反映するものと考えられた。対象域は照葉樹林帯に位置しているが、ヤブニッケイ、ヒメユズリハ、タブノキなどの優占種は、山地斜面の大部分の元薪炭林、放棄段畑の両方に共通して広く定着しており、半島の山地斜面のほぼ全域が照葉樹二次林へと回復する途上にあった。今後、由良半島の放棄段畑は、先駆性の木本類が徐々に減少し、元薪炭林と類似した照葉樹二次林への変化が続くと予想される。一方で林床のシダ植物は、石垣という安定的な基質に適応していると考えられ、今後、植生遷移が進行していく中でも長期にわたりその個体群が維持されると予想される。
空間配置の影響について、種の分布パターンをRDA分析に基づき検証した結果、イズセンリョウ、モクタチバナ、アオギリなど一部の種が半島西南部に偏って出現することが明らかとなった。大澤(1953)によれば、半島最西南部の山頂の丸山フルヤシキと呼ばれた場所にはかつて由良大権現神社があったと言われている。漁村から離れたこの森林にも周辺の後(うしろ)、成(なる)、網代(あじろ)地区の住民が船で薪の採取に訪れていたほか、斜面下部では炭焼きの跡も見られ、少なくとも戦後期から昭和40年代半ばまでは特別な森林保護の配慮がされていたわけではなかった。ただし半島内の他のエリアと異なり、半島西南部の森林は、過去に草地化、段畑耕作やそれに先立つ火入れなどの撹乱は受けていなかった。この半島内部でも異なる歴史的な山地利用と上述の3種に代表される一部の種の分布域には重複が見られた。
これら結果は、中世以降の人口増加に伴う沿岸丘陵部への漁民の入植や薪炭林利用、耕地開発に先立つ火入れ、段畑耕作に伴う石垣化、またそれ以前の神社林への勧請木の植栽といった山地斜面の多様な人為的利用の違いが、現在成立している森林植生の構造にも強く影響していることを示唆している。

活動の課題

本研究では、宇和海沿岸漁村の一例として、愛媛県由良半島の森林植生の構造とその規定要因を検証した。しかし瀬戸内海沿岸域には、自給的段畑農業から柑橘生産に移行した地域や、入植時期、人口密度に違いの見られる地域など、歴史的な資源利用の強度や様態の異なる地域が多く存在する。今後、段畑放棄後の植生回復過程を瀬戸内海沿岸全域で明らかにしていくためには、これら歴史的に多様な土地利用、自然資源利用の様態を、文献や古老からの聞き取りを通じてより広域で整理し、現存植生との関係を検証していかなければならない。