瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

小豆島の東海岸を中心とした大坂城石垣石切丁場跡の水中遺構調査 ―近世初期における瀬戸内海の石材運搬工程の解明―

同志社大学 文化情報学部・同大学 文化遺産情報科学研究センター 津村宏臣

活動の目的

近世初期、徳川幕府による大坂城の再築は、西日本諸藩と大阪を結んだ大規模な物流を生み出した。本研究は、国指定史跡「天狗岩磯丁場」を中心とした、小豆島町および東瀬戸内海沿岸部の石切丁場および石材加工の技術史や海運運搬技術などに関する総合共同研究である。特に本研究では、(1)2012年の調査によって搬出用船舶の係留施設と評価した水中遺構「かもめ石」を中心とした石材の搬出工程を検討すること、(2)諸藩が石材を求めた小豆島を対象の中心とし、本来別々の地域の“技術文化”であった石工・運搬技術が、瀬戸内海という時空で呈したクロスカルチャーの様相を、遺構や遺物を通じて明らかにするための情報基盤を構築することが目的である。また世界遺産ノミネーションを目指す小豆島町の学術的背景の明確化を行うためにも、重要な研究過程と位置づけられる。さらに日本では方法論として脆弱な水中考古学の手法を、瀬戸内海という閉鎖系環境に適用しながら独自の方法論と理念の確立も目指したものでる。

活動の経過

目的に鑑み、(1)これまでに明らかにしたこと、取得データを整理し、新たに必要となる情報・データを取得した。具体的には、係留施設として評価した「かもめ石」を用いた搬出工程をその構造(巨石に石柱が埋め込まれていた)や潮汐シミュレーションから評価し、さらに海岸・水中の全域の地形測量方法を確立し、これを実行した。併せて海岸・水中に残された石垣用石材の分布を把握するため、走査型写真測量の方法論を確立し、これを用いて全域の石材分布図を作成した。(2)小豆島岩谷天狗岩磯丁場を対象とし、上記方法から情報を取得し、石材搬出工程のモデルを構築した。これは今後の他のエリアを調査する上で重要なモデルとなる。こうした精緻な基盤情報の集積によって、瀬戸内海という時空で呈されたクロスカルチャーの様相を解明していくに不可欠なモデルを提示した。以上研究経過は以下の3 点にまとめられる。
① 対象全域における地形・石材分布データを取得するための方法を確立し、
② ①によって取得したデータから、未解明であった水中に存在する大坂城石垣用石材や係留施設としての「かもめ石」を評価し、
③ ①②からこれまで不明瞭であった石材の搬出工程のモデルを提示した。

活動の成果

研究経過に基づき,各成果を示す。
① 地形データの取得方法としては、地形の変化点やその他ランダムに選出した地点に視準を立て、機械点(TS:トータルステーション)から視準点の距離と高さを算出した。水中においてはこの視準を安定させるため、スキューバダイバー2 名・シュノーケル1 名を配置しデータを取得した。算出された座標データから視準点それぞれの位置関係と標高を導きだし、等高線(地形図)を作成した(Fig.1)。海岸部においてはその詳細な変化も把握するため、レーザーレンジファインダーを用いた微地形測量も実施した。石材分布データ取得に関しては、ロッドやスタッフなどに搭載したデジタルカメラにより走査しながら連続撮影し、カメラレンズの屈折率と被写体までの距離から、調査地内のどの部分を切り取った写真であるかを確定できるよう、写真と位置情報(座標)を連動させる仕組みを考案し、写真自体の縮尺と方向をこれにより補正した。その後ラップ率の低い写真を半自動で補正し、色調と目視により石材と砂、ノイズ等のオブジェクトを判別し、海岸部の石材分布データを構築した。水中においては、海底に50mメッシュを敷設し、補正用ポイントを区画3mごとに定め、水中用動画カメラを用いて撮影した。撮影時によるブレを補正用ポイントを用いて位置情報と連動させ、水中石材分布データを構築した(Fig.2)。
② 「かもめ石」の実測と潮汐シミュレーションにより、「かもめ石」上部に埋め込まれている石柱が水面より常に高くくるよう設計されていたことを確認し、具体的な係留施設に関わる水中遺構であることを評価した(成果物1)。Fig.1を鑑み、沿岸域北部で等高線の間隔が広い遠浅な地形が形成されていること、沿岸北西に2つの谷地形が確認されること、その付近の等高線の不規則な配列が「かもめ石」の位置と一致することから、離岸流メカニズムによる船の搬出工程を推定した。Fig.2より、水中石材が確認されたエリア以外は砂地のエリアである。これまで“落城”を意味することからそのまま布置された「残念石」という呼称を懐疑し、“何らかの意図”として検討を進めている。特に「かもめ石」付近と両脇の石材分布エリアの間は先述のように砂地であり、こうしたエリアに離岸流が発生するものと推定できる(成果物2)。
③ 以上より、満潮時に「かもめ石」と陸地の間に船が進入し、船の錨と「かもめ石」の石柱をもって船を係留し、干潮時に船を固定し、海底を石材でかさ上げしたりしながら船の固定を完了させ、陸地と船の間に板を渡し石や修羅やコロでもって移送し、作業完了後、潮が満ちると船の固定を解除・出航し、2つの谷地形により発生する離岸流に乗って運搬するモデルを想定した( 成果物3)。
以上から、大坂城石垣研究がこれまで徳川普請による各大名の一大事業として知られてきたことに対し、その大名管理による事業に伴っ
た地域の漁民・海洋民の技術の介在が明らかとなった。

活動の課題

本研究と同時に、本研究対象の天狗岩磯丁場の北西の山岳地に位置する天狗岩丁場の調査も進めており、石材採石-加工-搬出-運搬の各プロセスが具体化しつつある。本研究で示したモデルと採石からのモデルを複合し、基盤モデルとしての提示を行う予定である。基盤モデルを主として、それら成果の検証、そのための同事例の可能性のある島嶼・沿岸地域の調査、石工・海運技術のクロスカルチャーとしての地域の“知”の評価が、今後の課題となる。