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瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ
活動の目的
瀬戸内海を代表する港町である尾道は、平安時代末期に港湾として成立して以来、中・近世を通じて発展を遂げ、港町独特の景観を形成するに至っている。この港湾の発展過程については、従来から文書資料を中心とする研究が進められてきており、港町尾道の発展過程をめぐる多くの成果が発表されてきた。一方、1970年代半ばから進められてきた尾道市街地における考古学的な発掘調査は、中世における港湾の変遷についての貴重な資料を提供しており、景観形成をめぐるこれまでの理解に再検討を迫る重要な成果を上げている。ただ、発掘調査は店舗や住宅の建て替えに伴う小規模で断片的なものが大部分を占めているため、港町全体の変遷過程は把握しにくい。そのため、発掘調査の成果を総合的に評価し、港町の成立・展開を総合的に評価する研究は十分に進展していないのが現状である。
そこで、この研究では尾道遺跡の発掘調査成果を、港町形成に関わる視点から総合的に分析し、考古学的方法による港町の成立・発展過程の再構成をめざす。出土資料の分析成果を基本としながらも、従来の文献資料による研究成果も批判的に扱うなかから、港町尾道の景観・機能・特質を明らかにするとともに、そこを舞台に繰り広げられた人・物・情報の流通・交流の実態を描き出すことを目的としている。
活動の経過
これまでの尾道遺跡における出土資料の年代は、出土量の多い土師質土器の椀皿類をもとに決定されてきた。そうした方法自体には問題はないものの、近年、近隣の福山市草戸千軒町遺跡における研究が進展した結果、若干の年代の変更が必要な資料や、より詳細な年代が当てられる資料が明らかになっている。
この研究では、近年の新しい年代観から出土資料を検討し、それぞれの発掘調査地点の出土資料から遡ることのできる年代を確定していった。
また、尾道遺跡からは日本列島の各地はもとより、中国・朝鮮半島など東アジア一帯からもたらされた多様な製品が出土している。こうした搬入製品は、尾道をめぐる流通・交流の一端を示していると考えられるため、特徴的な搬入の種類とその出土地点をリストアップした。
活動の成果
出土資料の分析の結果、港町尾道の成立・発展をめぐるこれまでの理解に、大きくは二つの点において再検討を迫る必要が生じてきた。まず一つは、港町の成立年代についてである。従来、港町尾道の成立時期は、嘉応元年(1169)に大田荘の倉敷地が設定されたことにあると考えられてきた。しかし、これまでの発掘調査では12世紀代に遡る資料が出土する地点は確認できていない。現在のところ、出土資料から尾道における集落の成立は13世紀後半までしか遡ることはできないのである。このことは、尾道に倉敷地が設定され港湾として利用されることが、港町の成立にただちに結びつくものではなかったことを示している。また、尾道遺跡で出土資料が確認できるようになる13世紀後半という時期は、瀬戸内海をとりまく地域の遠隔地流通が活性化した時期であることが、文字資料ならびに各地の出土資料から確認できるようになっている。おそらくは、12世紀後半に尾道が倉敷地に設定された当初の段階では、港町と呼ぶべき集落は形成されていなかったのであろう。それが、瀬戸内海水運が活発になる13世紀後半になると、活発な物流を支えるための恒常的な諸施設が形成され、港町として急速に発展していったと理解すべきであろう。
もう一つの点は、港町尾道の成立・発展の核となった区域についてである。港町尾道の中核的な区画について、かつては近世の「十四日町」を中核として港町が形成されたと考えられてきた。しかし、図2に示すように最も早い段階に集落が形成されたのは、現在の国道2号線坊地口交差点をとりまく区域で、かつてここに存在したと考えられる入江に設けられた港湾施設を中心に集落が成立したことが、発掘調査によって明らかになっている。
「十四日町」を港町の核とする見方は、近世の港町の形態に基づくものである。各地の港町と同様に尾道の場合も近世の段階で港町が再編された可能性があり、近世段階の景観をそのまま遡及することはできないのである。発掘調査の成果に基づき、港町尾道の発展過程を全面的に再構築する必要があるといえるだろう。
また、図3に示すように、14世紀後半になると集落の範囲は近世の港町にほぼ匹敵するほどに拡大し、15世紀にはさらにその密度を高めている。ただ、その分布をさらに詳細に検討すると、出土地点は現在の「土堂」「十四日元町」「久保」「防地口」といった区域に分散して集中する傾向が認められる。これは港町が連続的に拡大したのではなく、複数の核の複合体として発展したことを示すものと理解できるであろう。これは、近年、市村高男によって示された尾道の発展過程〔市村 2006〕からも合理的に説明できる成果である。
活動の課題
今後は、本研究によって明らかにした出土地点の時期的な分布をもとに、港湾の諸施設(停泊施設・倉庫など)の変遷過程を解明し、港町としての景観の変遷を具体化していく必要がある。その際には、本研究によってピックアップした特徴的な搬入製品に関するデータを活用し、人・物・情報の交流にまで迫っていきたい。
また、本研究の成果を発展させ、広島県立歴史博物館において企画展として公開することを予定している。現在その時期や展示内容についての検討を進めている。