瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

船の陸上がりによる漁民住宅の形成に関する研究   瀬戸内海沿岸漁村を中心として

福山大学 藤原美樹

活動の目的

本研究は、家船漁民の生活と「陸(おか)上がり」のその後に着目した。「家船」の空間構成がそのまま陸の平面構成を形成した例もみえることから、これまで明らかにされていない「家船」から生まれた「漁民住宅」と「漁村」の成立、住居配置、空間構成について、調査検証を行った。
漁村は、大きく分類すると、①古い起源をもつ漁村、②移住(陸上がり)によって形成されたものがある。宮本常一『日本文化の形成』に船住居と陸地住まいとの関連性について記述がみられるが、詳細な調査はされていない。

活動の経過

本研究を遂行するにあたり長崎県西海町大村、大分県臼杵市津留、広島県尾道市吉和、山口県周防大島沖神室、伊根町稲裏重要伝統的建物群保存地区について、現地調査、聞き取り調査、資料調査を実施した。おもに古い漁民家が残る尾道と沖神室、伊根町舟屋について検証を行った。
1 尾道の漁民住宅の形成
尾道吉和の漁民たちは、吉和西元町、東元町、正徳町に密集して居住した。西元町には、漁師に深く信仰される、航海の安全と豊漁を願う漁民にとって特別な神様である恵比須神社が祀られる。また「漁師町共有井戸」が生活用水として現在も使用されている(写真1)。また、個人井戸が数多く残る( 写真2)。
尾道吉和漁業区にみえる地区内の路地は、無統制、網目状の幅員2m未満であり、洗濯物や植木などがみられ非常に生活感がある。必然的に玄関はその路地に向かって配置される。特に、吉和西元町西部の路地は狭く、1軒の奥行ごとに路地で区切られ、非常に古い町の形態である。日々行う魚の処理のため玄関横の軒下には、かつて使用していた流し台が配置される(写真2)。狭い土地に密集しているため、屋根の形態はほとんど「切妻」屋根であり、壁や軒は近接する。改修されていない古い建物の便所は、外部から使用する配置が多くみられた(写真3)。実測調査した建物は、前面道路(路地)は1.3m、木造二階建切妻屋根、床面積34.30㎡ (10.38坪)である。「家船」の平面構成と漁民住宅の平面構成には、近似性がみえる(図1)。ただし、船には唯一配置されていなかった便所は路地側に配置される。
それは、農作物の肥料として使用されていたことも関係する。「家船」にみえるミヨシ(オモテノマ)/トモの関係は、厳格な浄/不浄の概念があった。台所や用便の場所はトモノマであり、汚物を捨てるのはトモノマのオモカジ側からである。ミヨシ/トモ、トリカジ/オモカジの浄/不浄の概念が陸上がりした漁民住宅の平面構成に影響を与えたと推定できる。
2 沖神室の漁民住宅の形成
漁師の住まいは、三つに分類できる。①江戸時代以来の本百姓の間取り、②規模の小さい田の字型の間取り、③一間、二間の規模の間取り。一本釣りの漁師は、広い網干場や修理する場所も不要である。所有する道具も少ないことから、小規模な住宅がほとんどである。典型的な漁師の住まいである、2畳二間、3畳三間の田の字型の場合、4畳(オクノマ)、6畳(オモテ)として使用され、主人夫婦は6畳を使用するが、長男夫婦に家督を譲った後は、長男夫婦が6畳、老夫婦と末子は4畳を使用する慣習がある。沖家室においても、下肥の処理は近郊の農村が行っており、農家は野菜などと交換した。かつては、外部より使用していた便所の跡が多くみられた。長屋形式の住まいは、一本釣りを主体とした沖家室を特徴づける住まいである。これらは、土地の資産家が建て、漁民に貸しているのがほとんどであった。
3 伊根町稲裏重要伝統的建物群保存地区
舟屋の間口はほとんどが3間から5間、すべて妻入りである、桁行は5 間から6間程度のものが多く見られる。
瓦葺二階建てで、1階は海に接し、船を直接家の中に入れることができる。高波の影響のない山肌に蔵を持つ家もあり、これまで見た漁村と比べ格段に収入が多かったものと思われる。

活動の成果

下記のとおり、研究成果をまとめた。
1  尾道「家船」の平面構成と吉和漁民住宅の平面構成には、近似性がみえる。平面構成は、土地の条件により、必然的に決定されるが、「家船」にみえるミヨシ(オモテノマ)/トモの関係は、厳格な浄/不浄の概念があった。ミヨシ/トモ、トリカジ/オモカジの浄/不浄の概念が陸上がりした漁民住宅の平面構成に影響を与えたと推定できる。
2  沖家室漁民は、家をもち、夫のみ(船方或いは船頭として)漁に出かける。一本釣りの漁師は、広い網干場や修理する場所も不要であるため、住まいは小規模である。漁船にみえる空間構成と漁民家について、関連性はみえない。

活動の課題

過疎化がすすむ漁村について、問題点の再認識と今後のあり方について、考えていく必要がある。