瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

「船乗りの村」の陸地定住 ―瀬戸内海沿岸漁村と大都市をつなぐ民俗学的研究―

立教大学 厚 香苗

活動の目的

平成23年度に公益財団法人福武学術文化振興財団からの助成を受けて、いわゆる能地漁民の枝村とされる大分県臼杵市諏訪津留(以下では津留とする)で、文化人類学・民俗学的な調査をおこなった(研究題目:「『家船の村』の民俗学的研究―陸地に定住した能地漁民の現在」)。そして「津留の人」は自分たちの村を「船乗りの村」と表現し、その構成員は根拠地に「陸上がり」した人、福岡県北九州市や大阪府大阪市港区などの港湾都市に集団で働きにでてそのまま定住した人、朝鮮半島で船に乗っていたが第二次世界大戦後に引き揚げてきた人、現役時代を貨物船などの乗務員として移動に暮らし、老後を津留で過ごす人など、船にかかわる多様なライフヒストリーをもつ人びとであることがあきらかになった。
本研究では、瀬戸内海を交通路とした「村落から大都市へ」という画一的な見方をされがちな近現代的な人びとの移動と、地域で育まれてきた知のあり方の多様性を、古くから流動的な生活をしていた「船乗りの村」の伝承を素材として解き明かすことを目的とする。

活動の経過

・第1 回調査 2013 年5月19日~ 21日
調査地:大分県臼杵市諏訪津留
内容:親族意識その他の聞き取り調査など
・第2 回調査 2013 年8月12日~ 17日
調査地:大分県臼杵市諏訪津留
内容:盆行事を中心とする聞き取り調査など
・第3 回調査 2014 年3月17日~ 20日
調査地:大分県臼杵市諏訪津留
内容:移住先の暮らしに関する聞き取り調査など
調査地:大阪府大阪市港区
内容:児童養護施設「海の子学園」をめぐる調査など

活動の成果

1 津留居住者と移住者の関係の量的把握
これまでの聞き取り調査で、津留では阪神地域への移住者が多いことが分かっていた。そこで移住者と津留居住者の関係を量的に把握するために、津留のアンデラ(庵寺)の建て替え時(平成5年)の寄附者の氏名と寄附した金額を示したプレートを分析した。
そのプレートでは寄附者が「津留区居住者」と「阪神・区外寄附者」に分けられている。当時、区外に出ている人で所在が分かる人には寄附を呼び掛けたという。その結果、金額としては津留区居住者が阪神・区外寄附者の倍以上を負担したが、「津留区居住者」119人を上回る171人の「阪神・区外寄附者」からの寄附があった。
2 盆踊口説の都市性
初盆を迎える家での盆踊りに参加させてもらったほか、個人的に作られてきた津留に伝わる盆踊口説(七七調の盆踊り唄)の記録を分析した〔厚2015(予定)〕。記録の分析からは、①津留の叙事歌謡「津留物語」が最多で、津留の盆踊口説のなかで「津留物語」が最も重要な演目だと考えられること。②「津留物語」以外のほとんどは近世以降の流行歌で、そのなかにツルという名の女性を主人公とするものが2種あること。③「前節」といわれる演目と演目のつなぎ目の文句と、謡い終わりとでも言いうる文句があって、盆踊りという年中行事の全体が、ひとつの物語になるような構造になっていること。これら3点を指摘した。
3 大都市生活への適応-若者の趣味
大阪府大阪市港区には津留出身の独身の若者たちの親睦会「諏訪総合親睦会」があった。その住所録(昭和47年2月20日現在)には、47名のプロフィール(男性30名、女性17名)が紹介されている。最年長の会員が昭和12年生まれ、最年少の会員は昭和29年生まれのこの親睦会の会員たちの趣味は次の通りで、大都市生活を楽しんでいる流行に敏感な若者の姿が想像できる。
〔男性の趣味〕
読書、魚釣り、登山、ハイキング、盆栽、スポーツ一般、ボーリング、野球、スキューバダイビング、小鳥を飼う、写真撮影、油絵、機械いじり、ドライブ、映画観賞、旅行、スキー、競馬、スケート、レコード鑑賞、水泳、ビリヤード、柔道
〔女性の趣味〕
ボーリング、スキー、ソフトボール、手芸、洋裁、テレビを見ること、卓球、ハイキング、旅行、編み物、音楽を聴く、映画観賞、遊ぶこと、レコード鑑賞、スポーツ、食べ歩き、ドライブ、読書

活動の課題

明治期以降、日本の民間伝承研究をリードしてきた日本民俗学は、定住的な稲作農耕を営む人びとの文化を基礎として近代科学になる道を模索してきた。宮本常一や谷川健一など「アカデミック民俗学」から距離をおいた一部の研究者は移動的な人びとの文化への関心をもっていたが、それはメインストリームと交わることのない個別研究にとどまった。しかし、たとえば都市的かつ移動的にみえるテキヤの社会にも伝統的とされるルールがある〔厚2012、2014〕。「船乗りの村」にも蓄積された知があり、それは狭い地域に留まるのではなく国内外の大都市に移住した人びとにも伝承されてきた。現在の津留は、多くの日本の村落と同じように住民が高齢化して若年人口が極端に少なく、人口は減少傾向にある。しかし津留の場合、近世から今日までずっと、集落に定住していなくても「津留の人」としての意識をもち、自分たちのネットワークを頼りに生活してきた。だから一見、ありふれた過疎化のプロセスにあるようにみえたとしても、それは高度経済成長期に高まった定住への社会的な圧力が弱まり、移動に暮らす本来の姿に戻りつつあるとも言えそうである。
アジアに分布する水上居民が根拠地をもつのは、死後の埋葬地を陸地に確保するためだといわれてきた。津留でも墓参りのために盆には都市から多くの人が戻ってくるが、近年、墓を都市に移す人も出始めているという。津留居住者のなかには、手間とお金をかけて墓を都市に移さなくても、たまに墓参りに来ればいいと考える高齢者が少なくないようである。だが、そのような考え方がいつまで残るかわからない。移動に暮らしてきた「船乗りの村」が、グローバル化と少子高齢化が同時進行する時代に、どのように変化していくのか。津留で伝承されてきた知の姿を追い続けていきたい。