瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

地域振興における芸術・文化活動の役割と影響 ―住民調査からの示唆―

香川大学 経済学部 原 直行

活動の目的

本研究は、瀬戸内国際芸術祭開催地域における持続的な観光や地域活性化の可能性を考え、地域住民のシビックプライドを醸成する要因等を様々な角度から検討するための基礎資料を収集することを目的とする。今回は、芸術祭開催地の一つである豊島(香川県土庄町)を対象として、筆者及び共同研究者が「瀬戸内国際芸術祭」開催年に実施した訪問者定量調査、住民調査等に続き、二回の芸術祭開催を経た後の住民の意識変化を捉えるために、変わりゆく島の象徴となる事案を取り上げ、その記憶や愛着をデプスインタビューにて抽出した。

活動の経過

今回の定性調査では、1947年以来60余年の歴史に幕を閉じ、2015年3月に移転予定となっている香川県唯一の乳児院「豊島神愛館」に焦点を当て、「福祉の島」と呼ばれ、豊島の象徴であった神愛館に関する、関係者及び豊島住民の記憶アーカイブを目指した。同時に、豊島に生きてきた住民の歴史、島民としての誇り、福祉理念の継承等についての住民の潜在意識を言語化することを試みた。具体的な活動については以下の通り。
1)視察:2014年4月20日豊島お大師参り視察、5月5日神愛館見学、撮影。
2)インタビュー調査:
2014年5月上旬~2015年2月中旬までの計6回、豊島を訪問し、デプスインタビュー実施。対象は、「豊島神愛館」関係者(館長経験者、職員、入所経験者ら)4名、豊島住民9名の計13名(内、女性4名)。豊島住民のインタビュー対象者については、島のリーダー的存在の方、産廃住民運動の重要な担い手であった方々らのうち高齢者を中心に検討し、住民の繋がりから依頼した。インタビュー時間は各1時間~2時間程度。

活動の成果

研究結果の一部として、以下、今回の定性調査のなかから、いくつかの発言を整理する。
〇「豊島神愛館」の思い出(住民・70代男性)
「その時は子どもに飲ます乳もないしなぁ、それで牛を飼ったんや。牛は今オリーブあるやろ、オリーブ喫茶。あの下が神愛館の牛舎だった。そこに**さんっていう夫婦が来てその人が牛飼って管理しよった。(中略)牛飼ってな、よく牛に蹴られて、乳こぼしたりなぁ。」(住民・60代女性)「神愛館はすでにその、私が生まれたときにはできたものやね、22年。ちょうど同級生がおったんです。」「お父さんが、あそこには女の子がよっけおったから遊びに来よった」「私らが中学校の時には大勢おったから、あの、何言うんかな、階段の上の方出てきて手振りよったな(中略)そやから私らそこへ行って喋ったり」、(住民・80代男性)「で、あれはそうゆうんでない、賀川豊彦先生が、この豊島に持ってきたゆうのは、ミルクの島ゆうので、豊島へ乳児院を持っていけば、まぁ餓死することはないゆうことで持ってきたわけですよね。戦後のいわゆる動乱期に、日本全国から孤児が集まってきて、それで社会へ送り出した。これは福祉にとってもこんな立派な福祉はないし、豊島の大きな誇りでもあるし、シンボルであるわけですよ。」、(住民・60代男性)「やっぱ目先の利とかおいしいもんとか、それは魅力ですよ。でも誇りを取るべきやと思うけどね。ところが今島の人もみんな生活で精一杯で、自分のことを一番にやらんとやっていけんのですよ。ほんならみんな目先のことにみんな飛びつくんですよ。その代わりそのときはいいんですけどいつまで続くか。それが終わったときには情けないと。結局目先に飛びつくと。結局割りきり主義的な社会になると。その悪循環が・・・。だから、村社会いうたらそんなんじゃないですよね。苦しい時はみんなで出し合って助けあって、楽なときはみんなでお神輿担いで。そんな感じなんですよ。そういったところがあってもいいんじゃないかと。豊島にはそういった風潮的なんがまだ残ってます。そこら辺を例えばこういった福祉の豊島オリジナル的なものをなにかやって、見つめなおし的なものが作れないかなと。特に自分に対してですけど。してみたいですよ。」

活動の課題

豊島産廃事件と共に、豊島の戦後の歴史を語る際に重要な要素の一つとなるのが、香川県唯一の乳児院「豊島神愛館」の運営をはじめとした社会福祉法人イエス団の豊島での社会福祉活動である。60余年の歴史に幕を閉じ、「福祉の島」と呼ばれた豊島から、「豊島神愛館」が移転することが何を意味するのか。今回収集した仔細なアーカイブデータを、今後、どのような形で昇華させ、一般公開すべきかを慎重に検討していきたい。