瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

瀬戸内海漁業集落の変容に関する歴史社会学的研究

早稲田大学 人間科学学術院 武田尚子

活動の目的

兵庫県たつの市御津町室津は、近世は北前船西廻り航路の代表的な中継商業港であり、また西国大名の参勤交代では、室津で海路から陸路に切りかえ、西日本有数の交通上の要衝であった。明治維新以後、海上航路および海運業は衰退したが、漁業が地域の主要産業として発展し、現在も室津では仲買業者のセリ市が成立し、漁業は地域活性化の核になっている。本研究は、近現代における室津独特の地域の変容、および地域産業転換プロセスの一端を解明することを目的とした。

活動の経過

本研究では、6回の現地調査を実施し、室津の歴史的変容を実証する資料を収集し、かつ、インタビュー調査を実施した。
また、このような瀬戸内集落の変容をマクロ的分析枠組に位置づけるため、室津の地域外に所蔵されている資料等も積極的に収集した。
このような調査活動、資料収集を円滑に行うには、現地の文化活動・社会活動団体と緊密に連携し、協力していただくことが不可欠であるが、本研究では幸いに、室津にある二つの資料館(室津海駅館、民俗館)の運営主体である、たつの市教育委員会社会教育課、「嶋屋」友の会、たつの市歴史資料館と密接に連携し、歴史的資料、映像資料を含めた地域アーカイブを掘り起こし、その希少性、学術的意義をアピールしていくための研究・実践基盤を構築することができた。

活動の成果

室津では近世から近代にかけて、海運業者・商業者層の没落、漁業者集団の台頭があった。つまり、近世の中継交易・商業港から、近現代に漁業集落へと転換した事例にあたる。一般的に近世の交易港では、近世には中核の海運・商業者層と漁民層との間には社会的境界が大きかったことから、近現代になっても双方の集団の間の社会的乖離は深く、地域のなかに葛藤が生じる要因にもなった。このことを鑑みると、室津のように漁業集落としての性格を強め、漁業が地域産業の核として有効性を発揮している例は珍しい。
今回の研究では漁業者集団の台頭に焦点をしぼり、次の2点が今後の考察を深めるポイントであることがわかった。
1点目は、明治36(1903)年に、漁業法に基づいて室津漁業組合が設立されたときに、専用漁業権をめぐって、室津村と漁業組合の間に葛藤が生じた出来事である。慣行に基づくと、「村」に許可するのが適切という農商務省の判断で、専用漁業権は「村」に許可され、「組合」にはおりなかった。これ以降、専用漁業権や用益をめぐって、「村」と「組合」の葛藤および調整が長く続くことになった。この事実は、室津村における「共同占有権」の問題を提起している。村の地先漁場および沖合漁場は「総有」の慣行があったわけだが、室津村に所属する村民全体が共同占有できるのか、それとも漁場を生産の場として働きかける漁業者に占有の権利があるのかという問題である。本報告では、このような調整の過程を漁業組合文書に基づいて追跡し、その含意について考察した。
2点目はこのような調整プロセスが持続している間の大正5~7(1916~18)年に、漁業者の一部は地元漁場を離れ、朝鮮出漁に踏み切った。本研究ではこの朝鮮出漁の過程を明らかにすると同時に、母村における共同占有権をめぐる葛藤と連接させた視点で考察を進めた。

活動の課題

室津の海港集落としての歴史的変容を明らかにすることによって、従来の瀬戸内海研究では取り上げられていない視点で、瀬戸内海の地域特性を明らかにすることが可能であることがわかり、これは学術的に意義が大変に大きい。それを実行するため、地元団体と大学研究者が連携する研究基盤を今回の助成で構築することができた。今後の課題は、この研究体制でより高度の学術的成果を生み出すことを支援していただける助成団体をみつけ、助成金を獲得していくことである。