瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

犬島製錬所(跡)の復元調査研究(2)

国崎クリーンセンター啓発施設 鈴木榮一

活動の目的

これまで犬島製錬所に対する調査研究は、ほとんど行われてこなかった。写真絵葉書等に残された名称も「製錬所」が「精錬所」と混在されるなど、名称に対する扱いにおいてさえ、極めて杜撰であった。本研究は、この犬島製錬所(跡)が貴重な近代産業遺産であることを世界にアピールし、客観的に評価できる資料を広く提供することをめざしている。

活動の経過

福武学術文化振興財団の助成を受け、2009年度から犬島製錬所(跡)の基礎調査を行ってきたが、施設の配置や工程内容などの詳細については未解明の部分が多々あった。
2012年4月から、「犬島研究会」(代表ノートルダム清心女子大学・上田教授)に共同研究者として加わる。この中で、旧帝国大学時代の冶金学系報文に犬島製錬所資料の存在を知り、調査の結果、課題であった製錬所の配置や製錬内容などの詳細を明らかにする資料の発見という、大きな成果を得た。
そして、2012年度の復元調査研究(1)では、帝大系大学図書館(東大、京大、阪大)での複写作業(本文、図面)を行い、図面のトレース作業、基礎データ入力作業を行った。同時に、犬島製錬所に関連する帝大系報文を新たに二つ発見し、他に早稲田大学図書館にも犬島製錬所の報文があることが判明した。今後は、帝大に限らず、明治末期に冶金関連学部を持つ全国の大学図書館に調査範囲を広げようと考えている。

活動の成果

1. 各報文の内容を目次一覧、付属資料を図面関係一覧にまとめ、各報文の特性を整理した。また、各報文のカルテを作成し、「犬島製錬所・報文データベース(仮称)」の基礎資料づくりを開始した。以下、現時点までに整理した各報文の概要を、著者、報文タイトル、年月日(西暦年)、製錬所関係頁、当該報文の特性の順に記す。
・石井洪基「帯江鉱山報告書」、明治42(1909)年4月12日、p173~221、帯江鉱山製錬所が詳細にレポートされている。冒頭の第一編一章歴史第四節将来の傾向において、犬島製錬所への移転が記されている。
・奥田鎌太郎「帯江鉱山報告書」、明治44(1911)年9月5日、p211~271、明治42年3月から稼働した初期犬島製錬所のレポート。付属の明治44年6月分事業一覧表(犬島製錬所)には、全従業員が男174名・女33名、合計207名であると記載。
・武藤弘太郎「犬島製錬所冶金報告全一冊」、大正元(1912)年12月15日、p1~91、明治期の製錬所全景絵葉書を添付。初期犬島製錬所に関しての詳細な記載がある。
・森下正信「帯江鉱山水島製錬報告書」、大正2(1913)年8月1日、p176~243、煙突や機構等の付属図面が多く、本文にも傾斜鉄道(インクライン)の図示等、設備の詳細が記されている。
・武藤幸治「帯江鉱山報告書」、大正4(1915)年7月1日、p72~135、藤田組に移り規模が拡大して煙害が増え、島から松など常緑樹が皆無となり、島民への賠償金が増額したとある。
・三枝善治「帯江鉱山報告書」、大正4(1915)年7月1日、p100~180、溶鉱炉の構造が図示などにより詳細に記されている。
・梶喜一「犬島製錬所報告書」、大正6(1917)年8月1日、p1~136、製錬所の最盛期。
・小原信夫「犬島製錬所報文」、大正7(1918)年2月5日、p1~99、最盛期の報文、合本二冊の一冊。
2. 大正初期までの報文にセットで報告されている帯江鉱山についての調査も開始。帯江鉱山の全体像(鉱山配置、坑内平面・立面)が明確になる。(※画像1参照)
3. 3次元モデル(3DCG化)へむけた試作データの構築作業にとりかかる。3Dモデリングソフトウェアとして、SketchUpを選定する。(※画像2参照)
4. 夏の研究会において、ノートルダム清心女子大学・上田恭嗣教授から、「犬島資料館」の構想が提案された。(※画像3参照、2014年成果発表会・大分にて報告)

活動の課題

新たな発見資料、「報文」の調査において、犬島製錬所の当時の全貌が明らかになってきたが、残されている写真資料に限りがあり、3次元復元へむけた素材としては不安がある。報文史料の解読や図面トレースにより、この写真素材の不足をどの程度補えるのか、また3次元復元の完成度をどれだけ引き上げることができるのか、以上の2点が今後の研究課題である。