瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

造形文化資料からみた瀬戸内海沿岸における鎌倉仏教の地域的展開-彫刻を中心に-

帝塚山大学 杉﨑貴英

活動の目的

瀬戸内地域では古代より豊かな宗教文化が育まれたが、中世の造形文化資料については現存状況の把握がなお課題であり、既知の資料についても再評価されてよいものが少なくない。本研究では、鎌倉仏教の地域的展開の様相に関わる造形文化資料のうち彫刻資料を中心に、既知の資料の再検と未知の資料の発掘を試み、美術史のみならず地域史・宗教文化史との関わりにおいてとらえることを目的とする。

活動の経過

まず、初期浄土宗の地域的展開に関わる重要資料として定評ある浄土宗蔵(玉桂寺旧蔵)阿弥陀如来像とその像内納入品について、研究史の総覧と結縁交名の検討を行った。その成果の一部は成稿し、秋に公刊に至った(【成果物】参照)。
並行して、瀬戸内海沿岸地域における造形文化資料と調査研究状況を把握するため、文献収集を進めた。この作業を通じ、従来の実態把握に関して地域間のばらつきが再認識された。あわせて、ことに愛媛県域に再検の価値ある資料が少なくないことが認識され、実地調査は同県に比重をかけることとなった。
主な訪問先は次の通り。兵庫県域=浄運寺(たつの市)、愛媛県域=東円坊・友浦地蔵堂・野間寺(以上今治市)・観念寺(西条市)・大通寺・宗昌寺・善応寺(以上松山市)・願成寺・宗光寺(以上内子町)・寿永寺(大洲市)・龍渕寺・善光寺・等妙寺(以上鬼北町)、山口県域=無量寺(周南市)・正護寺・興隆寺(以上山口市)・永興寺・祥雲寺(以上岩国市)、転出資料所蔵先=大阪青山歴史文学博物館(川西市)。
このうち初期浄土宗との関係が注目される浄運寺本尊阿弥陀如来像(快慶派)に関しては、快慶派作例の詳細な調査研究を進めている寺島典人氏(大津市歴史博物館)の同行と指導を仰いだ。

活動の成果

今回得られた知見のうち主なものについて、それに関する視点とあわせて以下に列記する。
①建暦2(1212)年に法然一周忌を期して造立された玉桂寺旧蔵阿弥陀如来像の結縁交名には、法然出身地の吉備地域のほか、讃岐国などの人名も確認され、瀬戸内地域における浄土宗の展開に関する資料としての重要性を従来以上に認めることができた。
②法然の重要な足跡のひとつ室津に所在する浄運寺(たつの市)本尊の阿弥陀如来立像(図1)は、制作年代こそ法然没後とみられるものの、瀬戸内地域の法然霊跡に関する阿弥陀像としては、岡山県誕生寺像よりも先行して安置された可能性が考えられた。
③無量寺(周南市)本尊阿弥陀如来立像は、臼杵華臣氏も指摘する通り(徳山市教委1991年)、その特異な形式が知恩院阿弥陀如来立像(伝法然臨終仏)と酷似し、初期浄土宗造像との関連が注目された。
④宗光寺(内子町)阿弥陀三尊像は、瀬戸内地域所在の来迎彫像のうち最も初期的な作風を示す。従来の一説にいう願成寺本尊との交替よりも、伊予に進出した宇都宮氏の浄土信仰との関係が重視された。
⑤善光寺(鬼北町)薬師如来坐像は、「善光禅寺」「大仏子肥後法眼覚朝」などと記す正平13(1358)年の像内銘が知られており、長楽寺(同町)釈迦如来坐像は「金泉山長楽寺記」に「肥後法眼覚朝」作とみえる。文和3(1354)年に萬弘寺(国東市)釈迦如来坐像を造った覚朝と同一人と判断でき、豊後水道を挟む同一仏師による禅宗造像の分布が確認された。
⑥善応寺(松山市)本尊釈迦三尊像(図2)は、河野氏関係の禅宗造像として、同寺の他の諸像とともに高く評価される。さらに同寺創建及び本尊造立に関する重要史料として常盤山文庫蔵「釈迦像勧縁疏」が存し、今回愛媛県域に少なからず確認できた南北朝期院派仏師作例のうちでも高い意義を見いだせた。
⑦観念寺(西条市)本尊釈迦三尊像(図3)は全く取り上げられてこなかったが、年度末に至り実見がかない、南北朝期院派仏師作例であることを初めて知りえた。禅刹としての同寺中興及び足利氏の保護といった寺史との関係が注目され、精査と詳考を要する。
【成果物】杉﨑貴英「浄土宗(玉桂寺旧蔵)阿弥陀如来像とその像内納入品の研究のために-関連書誌および結縁交名比定・論及一覧-」(『京都造形芸術大学紀要』第18号、2014年11月刊)
【引用文献】徳山市教育委員会編・刊『徳山市の社寺文化財調査報告書』(1991年)

活動の課題

浄土宗関係の彫像作例については、地域史的状況と、法然伝及び法然霊跡の形成との関係から追究を進めることが課題となる。また禅宗関係の彫像作例については、臨済宗および院派仏師の瀬戸内地域への進出の様相をとらえつつ、河野氏・新居氏など当該地域の地域権力による造像の具体相の追究を進めることが課題となる。なお、日程調整や所蔵者側の事情で検分を断念した資料、精査を要する資料も少なくない。いずれも今後の機会を期する。