瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

離島が育んだ「流転の精神」と瀬戸内海文化

甲南大学 文学部 出口晶子

活動の目的

本研究では、離島が育んだ「流転の精神」について、島民の生活、移動の軌跡を実地に検証し、瀬戸内海文化のダイナミズムを支えてきた精神にせまる。瀬戸内海文化は、瀬戸内の沿岸文化という理解にとどまらず、性格の異なる多島が果たしてきた役割が大きい。個々の島の生き方に内包される積極的、もしくは静かな「流転の精神」から離島は今後いかに生きぬくかを考察する。

活動の経過

写真家の出口正登との共同研究により、東は伊島から西は屋代島周辺まで架橋離島を含め、30余の瀬戸内離島を実地調査した。これまでの本海域の離島調査地は90箇所、有人離島の約6割に及ぶ。現地調査は、連絡船の通う島々を重点に橋の架かった島、今後架かる予定の島の現況や、観光事業化に積極的な島、積極的でない島も対象とした。各島では固有の自然・文化景観を虫の目でとらえ、かつ頂上からの展望景観を俯瞰する写真記録を行った。また寄寓者を含む島民とは、島の人生や望まれる島暮らしについて対話を重ねた。瀬戸内島民の外へ向かう足どりについては、造船や石材業の東京湾や琵琶湖沖島などに及ぶ足跡を拾った。盆踊りに継承される白石島と佃島の関係、日本橋や国会議事堂等近代建築に活かされた豊島石と島民の活躍、江戸川等砂利運搬船建造における瀬戸内船大工の関与、家島諸島砂利運搬船(ガット船)の東京湾進出等から、現代の文化景観や芸能に受け継がれた、「流転の精神」がもたらした瀬戸内海文化の特質についても考察した。

活動の成果

瀬戸内海には船乗りや造船など特定の諸職、石材やミカン・葉タバコなど特定の産物を生業とする島が多い。特化した産業が離島に成り立ちえたのは、海域全体をつなぐ広い商圏が存在し、島は孤立することなく、多島海のネットワークのなかで都市的性格を有してきたことによっている。採石の島・兵庫県男鹿島は、小豆島や愛媛・岡山などからのよそ者で成り立つ島だ。15歳で香川から移り住み、50年採石に従事した70代の老人は、島では最古参である。採掘の仕事を求め、移動が常態の石の島では、二代重ねれば、立派な「地の人」なのだ。北木島から愛媛の大島へ、小豆島から琵琶湖沖島へ、家島・豊島から東京湾へ、人生や時代の転機を見定め、移動する「流転の精神」がこうした島の人生にはある。離島出身者がリタイア後、島半分・本土半分の生活を実践し、人生を三分に分けた生き方をするのも瀬戸内の特徴だ。また本海域には、香川県小手島・手島、愛媛県安居島などすでに人口20~30、40人程度となった島がいくつも存在する。民俗学者・宮本常一のいう「20戸を切った小島は本土に移動すべき」の提言に立てば、今日あるこれらはいずれも存続の限界にある島になるが、島民の望む、きちんとした島暮らしの実践が現地では随所で確認できた。無人化がいいのか、観光事業化がいいのか、それとも「そのまま」か。長く離島振興対策に携わってきた伊島の漁師、川西さんに聞いてみる。「ここは人口170人ほどの海士で生計が立つ島。開発には手をつけていない。そのままのほうが、かえって背伸びせんほうがええ。そういうのを喜んでくれる来訪者もいる。」手島の農業者、高田さんに聞く。「ここは昔から人の出入りの少ないところ。老人の島だが、島を出た手島会の人たちが定期的に清掃や草刈を手伝ってくれる。新聞の配達もある。このままがいい、連絡船の便が減るのが一番怖い。」瀬戸内海文化の醸成には島々の流転を支える定期船が欠かせないのだ。

活動の課題

本成果は、過去の研究成果とあわせ2015年度中の著書刊行をめざし、まとめている。本研究では、「流転の精神」に支えられた瀬戸内海文化の特質と今後の離島対策に資する有益な見通しが得られたが、今後架橋が一層進行する本海域では、分岐に立つ各離島の生き方について、未調査離島を含め実地研究を継続する必要がある。