瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

塩飽大工の研究

塩飽大工研究会 三宅邦夫

活動の目的

近世の在方集住(ざいかたしゅうじゅう)大工として数多くの文化財を残したにもかかわらず、塩飽水軍に比べて知名度が低く研究の余地が残されている塩飽大工について、その建造物、特徴、系譜等をできる限り広範囲、深深度、かつ高密度で調査研究し、貴重な文化を後世に継承するだけでなく、新たな文化誕生の萌芽となることを予期し、塩飽に住むことへの誇りを高める。

活動の経過

3年計画の3年目であり、塩飽大工の建造物一覧表を仕上げ、現存を確認し写真に記録することの完遂を目指した。調査を3月末まで行い、2015年4月より報告書の執筆に入る。活動計画通りの進捗である。
活動の延べ回数は295回、延べ人数346人、延べ時間は2289時間に達した。主体の2名はほとんど正業並みで、年金生活者ゆえに実行できた。
(1)塩飽大工の建造物、棟梁格大工の人数
現時点の件数は次の通りである。
建造物数 433
うち現存数 173
棟梁格大工の人数 613名
(2)塩飽大工の系譜
新たな大工名が数多く出現した。
また先輩研究者の解釈見直しや、塩飽大工の起点に迫る家系を抽出した。
(3)調査研究3年間の集積データ
資料 644点 272ギガバイト
写真 38,895枚 548ギガバイト

活動の成果

地道な活動は正直で、多くの新発見があった。一例を示す。
1.新発見の建造物
(ア)宝福寺(総社市)
雪舟逸話の古刹大寺院。文化財指定のための調査で橘和平の棟札が多数出現。橘和平は、備中国分寺五重塔や善通寺五重塔で著名な橘貫五郎の父。曾祖父の時代から宮大工の家系。
(イ)洞松寺(矢掛町)
天保14年に大規模な三門を建てた長尾家、同時期に禅堂、鐘楼、開山堂等は松成家。
(ウ)総社神社(坂出市)
天保14年の修理は塩飽広島青木の大工、明治34年の大きな本殿は橘貫五郎一族の橘源太郎が副棟梁。
(エ)御嵜神社(総社市)
元禄8年塩飽本島尻浜・長尾六右衛門の建築が320年を経て現存する貴重な文化財。
2.珠玉の大工彫刻を発見
(ア)片島神社(倉敷市)
天保2年塩飽本島泊・高嶋佐治右衛門の彫刻が豪華。
(イ)聖徳太子堂(丸亀市手島)
地元の小さな社に、腕前を誇る凝った彫刻。
3.彫刻師の業績を発見
(ア)北山助四郎
小規模は三所神社、中は正覚院、大は本願寺塩屋別院(丸亀市)に見事な作品を残す。
(イ)民部家
虎治郎、孫吉、孫三が彫刻に刻銘を残す。
4.古文書を発見
(ア)岩山神社文書(新見市)
文政12年塩飽大工卯吉の宮普請請負義定書で、建築物の仕様、請負額、請負条件等の詳細がわかり興味深い。前金無し、損が出ても増金無し、請職人の煙草も請負銀から払う等々。
(イ)大塔仕法書(橘家文書・丸亀市資料館蔵)
善通寺五重塔二重までの資材帳。橘貫五郎控。

活動の課題

この研究がライフワークになることは、早い時期から自認した。ともあれ計画の3年が経過したので、報告書の作成に着手する。集積した膨大なデータを体系化して整理し、今後の研究の礎とするためには、相当な時間と労力を覚悟しなければならないが、やりがいと達成感、そしてご先祖様方の偉大な仕事に対する誇りをもって推進したい。