瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

塩飽・櫃石島の歴史と民俗

濱本敏広

活動の目的

櫃石島に伝わる歴史や風習は、瀬戸大橋架橋など急激な環境変化により人々の記憶から薄れてきた。今回の調査・研究を通じて島民や島出身者のふるさとに対する意識の向上を促す。また、「櫃石ももて祭」「塩飽大工」「写し霊場」は櫃石島のみならず、近隣地域の観光資源としても共通の価値が高まり、来島者や地域間での情報交換や交流に寄与することを目的とする。

活動の経過

塩飽櫃石島の歴史と民俗について、伝承されてきた話や文書、遺跡等を調査した。「櫃石ももて祭」については参加して、射手を中心とした所作等を細かく記録した。
石仏調査については、四国八十八ヶ所と西国三十三所観音について石仏の大きさの記録や特徴を調べた。石仏が屋外に設置され、長年の風雨などで摩耗し、刻字は判読しにくいものが多く、拓本を採るなど日数を要した。大坂城の残石等は山中にあり、荒れた山中での活動は時期が限られ、十分な活動は難しかった。文書が無く、残された刻印石の確認と大坂城の記録写真の収集にとどまった。
岡田善治については、櫃石島ではあまり知られていないが、北海道の図書館等に資料照会を依頼した。榎本艦隊と共に函館に脱走し、箱館戦争後も現地に残り、幕府軍の慰霊や明治日本の洋式船の船員の育成に努めた。その後は大沼公園の整備に尽力したことが分かった。
花山之城主出雲守については児島半島を中心に調査したが特定できなかった。
塩飽大工については、家に伝わる伝承を中心に記録した。

活動の成果

与島村と坂出市の合併について、与島村が選挙で住民の意思を確認し、その投票結果で生活圏の違いが分かった。また、人口調査で櫃石島の人口が記録上にないほど減少が進み、旧集落の北部では厳しい過疎化の現実を感じた。
寺社については分かる範囲で歴史を記録した。氏神である王子神社については棟札や過去の文書にあるものも参考にした。宝珠寺については明治、昭和の火災により多くの仏像や文書等が焼失したが、境内にある蘇鉄は「四国の名木ものがたり」にも樹齢600年以上と書かれており、十分な管理ができれば、今以上に人々を感嘆させるものになる。
「櫃石ももて祭」については先祖より伝わっているももてへの思いと射手の作法を中心に書き残すことができた。
写し霊場、四国八十八ヶ所と西国三十三所観音については多少の誤差があるかもしれないが、地図上で概ねの順路を示すことができた。また、石仏の大きさや特徴について記録することができ、現在地に安置された経緯についても触れることができた。巨石と伝説については、巨石信仰のある石の写真と伝説について記録した。また、大坂城再築に利用された残石についても刻印石の大きさも含めて記録できた。
塩飽大工については、家に伝わる伝承を中心に記録できた。
岡田善治については、島から出た偉人と言ってもよく、もっと世間に知られるべき人物である。幕末明治を通じて船乗りとして活躍して、箱館戦争後は幕府軍の戦死者の慰霊や商船学校の設立など、新しい海洋国家の人材育成、また、大沼公園の整備等に尽力したということが確認できた。
朝陽丸水夫の墓では、幕末から明治にかけて活躍した塩飽水夫の墓について調査した。小笠原諸島の調査は厳しい航海であり、その成果は咸臨丸による太平洋横断と同様に語り継がれるものであることが分かった。
以上、塩飽櫃石島の歴史と民俗については、十分ではないが、一定の成果が得られたものと思う。

活動の課題

今回の調査では不十分なものが多く、歴史民俗について訂正や加筆を行う必要がある。
昔の葬儀や盆行事等の民俗調査の継続と消えかかっている島の地名の調査も必要である。
花山之城主の碑については場所の特定ができれば、櫃石島の未知の歴史に光が当たる可能性もある。
今後も多くの課題に取り組んでいく必要がある。