瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

瀬戸内海地域における段畑放棄後の植生回復過程の解明 ―聞き取り調査による段畑耕作最終期の自然資源利用の記録―

国立研究開発法人 農業環境技術研究所 徳岡良則

活動の目的

昨年度実施した愛媛県由良半島の放棄段畑や雑木林の植生調査結果から、山地斜面の利用履歴が、利用停止後に回復する植生の構造に強い影響を与えていることが示唆された。そこで本年度は、段畑耕作最終期の自然資源利用に関する地域的差異を追加検証し、瀬戸内海沿岸丘陵部の植生回復の将来像を予測するとともに、また今後に残された課題を明らかにすることを目的とした。

活動の経過

1)由良半島におけるかつての山地資源利用
2013年の植生調査に当たって、山地資源利用の概要を中心に8名の地域住民より聞き取り調査を行った。また、2014年には別の8名の住民より、薪を中心に山地などから採取できる資源に関する聞き取り調査を行なった。
2)豊後水道沿岸域のアオギリの民具利用
前年度の調査結果(Tokuoka and Hashigoe 2015,JFor Res 20:24-34)から山地の利用履歴と対応する分布傾向を示したアオギリは、図鑑類でも在来説と外来説があり、管理方針が定めづらい種である。本種は、伊方町松地区において「ジョウドノキ」と呼ばれ、樹皮繊維が利用されていた(高嶋賢二、2011年、ふれあいいかたp.8)。本種は由良半島南西部の森林にも偏在し、また鹿島には純林の保護群落がある。本研究では、アオギリの呼称や民具利用の実態について、由良半島に加え周辺地域を対象とした他調査と合わせて、40代~80代後半の79名に聞き取り調査を実施した。

活動の成果

1)由良半島内における資源利用の集落間差
由良半島内では、冬を中心に薪の採取が広く行われていた。集落周辺の浜辺に打ち上げられた漂着物のうち流木は燃料に、海藻は塩抜きをした後に肥料にしていた。漂着物の所有を巡って、平井地区では昭和60年まで年に一回入札を行い流木(平井ではヨリキ(寄り木)と呼称)やブイ等の漂着物(ナガレモンと呼称)の利用者を決定していた。
段畑耕作の最盛期にはシカ、サル、イノシシはおらず、尾根部に設けられた芋つぼにススキを敷き、芋を野外保存する方法が広く採られていた。当時も、半島に生息したキジやノウサギは冬場に内陸部の人が狩猟していたが、一方で半島の住民が野生動物を直接狩猟することはあまりなかった。櫨(はぜ)の実の採取や製炭も半島の住民によっては盛んには行われず、南予内陸部や九州の人々がこれら資源の採取、利用に訪れていた。
半農半漁の暮らしが広く営まれていた由良半島の資源利用実態からは、沿岸域の山地斜面植生を評価する上では、その集落の住民の生活様式の理解に加え、周辺内陸部等の他地域の人々の季節的、一時的な流入、滞在と資源の採取・利用に関する理解が重要となることが示された。
2)アオギリの利用が示す豊後水道域の人の交流
対象地域では、第二次大戦前後頃まで主にアオギリの繊維を農具や漁具の材料とした(画像1)。一部の個体は山地、耕地境界、人家裏に植栽されていた。本種は先駆樹的性質を有し、多くが二次林や空地に生育していた。アオギリにはジョウドノキ、ジュウドノキ、ヘラ、イサキなどの地域呼称があった(画像2)。漁村での繊維採取やアオギリの植栽の証言、豊後水道を挟んで大分、宮崎と愛媛、高知に共通したアオギリの地域呼称が見られることは、沿岸集落に現存するアオギリが海路を通じた植物利用文化の伝播に由来する可能性を示唆する。これはかつての有用植物の拡散も地域植生の評価上重要となることを意味する。

活動の課題

本研究から、各漁村で異なる資源利用の歴史が、現在見られる沿岸山地斜面の植生の姿を多様にしてきたことが明らかとなった。今日まで変化を続けてきた里地の自然は、今後数十年で管理放棄が加速していく。その中で、農漁村の習俗に守られてきた地域の生き物を記録し、守り伝え、地域の発展に生かしていく必要がある。