瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

瀬戸内海東部の離島漁村における出産文化の比較研究―伊吹島・走島を事例として

佛教大学、(公財)世界人権問題研究センター 伏見裕子

活動の目的

本研究は、香川県観音寺市伊吹島と広島県福山市走島を事例とし、出産文化について比較検討を行うものである。両島は距離的に近く、生業や対岸の町からの距離、現在の人口規模なども似通っている。しかし、出産文化についてはあまり共通点が見られない。この違いがいかにして形成され、それぞれの島で出産がどのように営まれてきたのかを、フィールドワークから明らかにする。

活動の経過

8月・3月に走島で、9月・2月に伊吹島でフィールドワークを実施した。伊吹島の出産文化の変遷については、2008年から調査を重ねて博士学位論文をまとめた経緯があるため、その成果と比較できるように走島に関する調査を重点的に行った。伊吹島では、出部屋と呼ばれる島共有の産屋が1970年まで維持されていたのに対し、走島で産屋の存在を確認することはできない。走島の女性達がいつ・どこで・誰と・どのように出産を迎え、産後どのように過ごしたのかということを明らかにするため、各年代の女性およびその家族に聞き取り調査を行った。その際、当時のインフォーマントの生活環境や島の信仰、家族関係、出産に対する思いについて、各人のライフヒストリーに即したかたちで注意深く聞き取った。そうすることにより、島の出産文化を構成する要素を、通時的かつ重層的に浮かび上がらせ、それらが女性や家族、地域にとって持つ意味を考察した。また、2月・3月には広島市・福山市で文献等の調査を行った。

活動の成果

伊吹島と走島は、ともにカタクチイワシ漁が盛んな漁村であるが、島社会の成り立ちや、最大時の人口などに違いがみられる。出産文化の共通点は産後における母子の休養期間が比較的長いということであるが、分娩介助の担い手や、産後の過ごし方に関する内実は大きく異なる。伊吹島では、漁師の船霊信仰とも関わる出産の穢れ観から、島中の産後の母子が約1カ月間出部屋を利用していたのに対し、走島では、産後の過ごし方が集落(本浦・浦友・唐船)ごとに異なっていた。本浦・浦友では、婚家での出産後、約33日経ってから実家に帰り、2~3カ月近く過ごすケースが目立っていたのに対し、唐船では実家で過ごす期間が比較的短く、実家へ帰らないケースもしばしば見られた。これらの集落間の違いを決定づけていたのは、集落の規模や生活環境等に由来する実家と婚家との関係性(婚姻のあり方)の相違であると考えられる。そして、各集落の産後の過ごし方に関する慣習は、出産の場が病院に移行してからも維持される傾向にあった。また、伊吹島において出部屋が閉鎖に向かった要因としては、生業の変化(漁業不振による出稼ぎ等の増加)に伴う実家の家族構成の変化があげられる。
出産の歴史に関する従来の研究は、出産の医療化や病院化を軸とするものが多かったが、実家を含む家族のあり方や婚姻のありようが地域の出産史に与える影響の大きさが本研究を通じて示唆された。また、女性に関する穢れ観のあり方にも両島で違いが見られ、伊吹島では出産の穢れ観が、走島では月経の穢れ観が比較的重視される傾向にあった。なお、本助成による現地調査の結果の一部を盛り込んだ研究成果として、『近代日本における出産と産屋』(勁草書房)が2016年3月に出版された。

活動の課題

今回の調査を通じて、伊吹島と走島の出産文化の相違およびそれぞれの変容過程について考察することができた。そこでは、俯瞰的な地理情報や医療のあり方以外の要因も出産文化に大きな影響を与えていたことが示された。今後は、フィールドの範囲をさらに広げながら、出産をめぐる地域の多様なつながり方を提示し、これからの出産に果たす地域社会の役割を考えたい。

  • 国土地理院2万5千分の1地形図「伊吹島」の一部を加工

  • 国土地理院2万5千分の1地形図「鞆」の一部を加工

  • 現在の出部屋跡(伏見撮影、2016年2月21日)