瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

小豆島における近世石割技術および道具の復元

独立行政法人 国立文化財機構 奈良文化財研究所 高田祐一

活動の目的

本研究の目的は、近世大坂城石垣普請の際の採石技術と道具を復元することである。徳川幕府による大坂城石垣普請の際、小豆島では、高度な石割技術を駆使し、巨石から良質な石垣石を大量に切り出した。しかし、当時の技術や道具は残っていない。そこで、小豆島の石工と共同で、技術・道具の復元に取り組んだ。その成果を「小豆島石」の付加価値につなげることを目的とする。

活動の経過

2016年春、参考とする基礎資料の収集および共同研究者との打ち合わせを実施し、モデルとする当時の石工道具を選定した。
夏頃には、石工道具の設計図を作成した。共同研究者らと何度か議論し微調整を繰り返した。
秋頃は、石工道具に使用する鋼材や鍛冶で使用するコークスを調達した。石割実験で使用する石材を選定し調達した。石工道具制作のため、鍛冶を実施した。調達鋼材が想定以上に硬かったため、鍛造加工に計画より時間がかかってしまった。
12月頃から調達した石材(推定12トン)に矢穴掘りを開始した。道具制作および石材への矢穴掘りが完了した3月に石割実験を実施した。
これらの各工程は、基礎情報を蓄積するため、可能な限り動画撮影および図面化を実施した。

活動の成果

成果は主に2点ある。
① 石工道具(鉄矢)の鍛造加工
ブロック状の鋼材から鍛造加工によって石工道具の一つである鉄矢を製作した。時期差による技術変化を比較するため、慶長期と元和・寛永期の2種類を製作した。製作の結果、鉄矢の先端は、鋼材が引き伸ばされたことによる凹み形状となった。この凹み形状は、近世の石切場跡である大阪府ミノバ石切場跡に出土した鉄矢先端においてもみられた。鉄矢の製作方法を検討するうえで重要な観察ポイントを発見した。
② 形状の差異による石割効果の違い
遺跡現地の基礎調査から、慶長期の鉄矢は、厚さ3.5cmの板状とした。元和・寛永期の鉄矢は厚さ5.0cmの角柱状とした。割れるまでに玄能で鉄矢を叩いた回数をカウントしたところ、慶長期は割れるまでに138回、元和・寛永期は46回要した。そして、鉄矢と石材の摩擦跡では、慶長期は面的に残り、元和・寛永期は線状に残った。面的に跡がある場合、鉄矢と石材がうまくかみ合いにくく力が分散している可能性がある。摩擦跡は、元和・寛永期の方が、矢穴のより深い所にあった。以上のことから、慶長期に比べ元和・寛永期の鉄矢は、石材のより深い場所で、玄能で叩いた力が分散せず明確に石を押し広げる力に変換されていると推定される。その結果、元和・寛永期は、慶長期の3分の1の回数で割れたと想定できる。鉄矢および矢穴形状が石を割る原理の重要な要素であることを明らかにした。

活動の課題

小豆島では高度な石割技術が運用されていた。その技術要素の一端が今回判明した。今後は、取得したデータの分析を進めるとともに、成果を現地の方々に知っていただくアウトリーチ活動が重要となる。

  • 鉄矢の復元製作(鍛造加工)

  • 実験用石材に設定した矢穴列

  • 玄能で鉄矢を叩く矢締め(石割工程)