- ホーム
- 助成活動について
- 瀬戸内海地域振興助成
- 成果報告アーカイブ
- 瀬戸内周辺における古代仏塔の研究-経納遺跡の研究を中心に-
瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ
活動の目的
日本には少数ながら階段状を呈する仏塔が存在する(奈良県の頭塔、岡山県の熊山遺跡等)。兵庫県佐用町経納遺跡もそれに類するものだが、精微な測量図もなく、研究の俎上に乗せることができないままである。そのため、まず基礎情報を取得し、研究を進め、情報を公開することで、仏塔研究へ寄与しつつ、文化財としての重要性を周知するとともに、将来の保存整備に役立てたいと考えた。
活動の経過
2017年6月 関係者で佐用町役場をたずね、作業の打ち合わせを行う。次の現地作業までの間に随時地元地権者等との協議を実施。
11月 現地を測量する前段として、遺構周辺の草刈りと伐木(小さい木のみ)を実施した。草刈り直後に遺構の測量作業を実施した(文化財サービスに委託)。代表者、関係者、町教委が立ち合った。以後、代表者が自宅等で測量図の校正を行う。
2018年1月 現地で測量図の校正を行い、その成果を業者に持ち込み、あわせて打ち合わせも行う。同時に佐用町図書館等で関係図書の検索、コピーを行い、佐用町役場で詳細な地形図を入手した。また、測量図は校正後すみやかに納品があったので、すぐに報告書の作成に取り掛かった。
3月 地元(佐用町久崎地区)での報告会を開催。約40人の参加があり、地元の方々へ周知と還元を行うことができた。報告書完成。地元教育委員会および古代中世の考古学関係の専門家へ発送。関係機関へは4月以降に元興寺文化財研究所から発送する予定。
活動の成果
経納遺跡は、標高150m前後の東へ延びる丘陵の先端部分に位置し、尾根の頂部をおよそ10m×10mの範囲で造成し平坦部を造る。遺構はその平坦部の中心に構築された3段の階段状を呈する石積遺構である。石積みは下段の一辺6.7~7.1m、中段の一辺約4.5m、上段の一辺約3.2mで、基盤から上部までの高さは約2.3mとなる。最上部中央付近に一辺1.0m、深さ1.0mの方形を呈する石室があり、蓋の一部とみられる大石が一つ覆っている。
遺構の南西で下段石積みから少し離れたところに立石が1基存在する。同様の大石が南東隅と北西隅に転倒しており、北東は失われているが、当初は4隅に立てられたものと推測できた。中心の石積遺構を結界したものと考えられる。
この経納遺構の関連調査では、岡山県熊山遺跡と大阪府勝尾寺八天石蔵を抽出した。八天石蔵は寺の結界であり、外形は酷似するが組になる遺構の存在が不可欠であるため、経納遺跡の性格を考えるうえでは熊山遺跡が有効と判断した。
熊山遺跡は経納遺跡より規模が少し大きく、高さもあるが、中央に石室がある点は共通している。石室内に納められていた陶製筒形容器は相輪と推定されることから、熊山遺跡は仏塔の可能性が高いと指摘されている。
また、経納遺跡は、その「経納」という名称から石室内にお経を納めたものと思われ、奈良時代後期に入ると仏塔の中に舎利の代替として法舎利(経)を奉安するようになる。これらを総合すると、経納遺跡は古代の仏塔として造営された可能性が高いと判断するに至った。あわせて熊山遺跡の石室の性格も、再検討を要することが分かった。
活動の課題
経納遺跡が仏塔であるとして、関連する古代寺院の探索と調査、地域での歴史的位置付けが重要である。また、発掘調査によって正確な年代を求める必要もある。それと並行して、対岸の高松市で確認されている屋島経塚などの遺跡を詳細に調査し、比較検討することが望まれる。また国外(韓国・中国・東南アジア等)にある類似形態の事例研究も不可欠である。
経納遺跡石積遺構西面の様相
経納遺跡石積遺構北西隅の様相
経納遺跡石積遺構の中央に構築された石室