瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

讃岐六条の水車復元と保存活用

高原水車友の会

活動の目的

江戸時代末から讃岐特有の溜池の水を利用して精米製粉事業を続けてきた水車機構が、1995年頃停止したが、その文化的価値を評価する人たちによって復元保存活動が始まった。復元にあたって大切にしたことは、讃岐の地理的特徴と水車大工の伝統的技術を守る事であった。水輪・歯車・石臼の復元は達成したが、現在循環装置(搬送と篩)の復元は、文化財(登録有形民俗文化財)保存と現役復帰の間でさらに調査が必要となり、復元の歩みが遅くなっている。しかし、粉を挽きうどんやパン作りに役立てるという目標は変わっていない。また、木を使った水車の技術を伝承していくことは同程度に重要である。さらに水車のダイナミックな動きを子どもたちに味わってもらいたい。

活動の経過

●古い水輪(文化財)を保存するため、長屋の壁を修理し、棚を作り、水輪のパーツを収納展示した。専門の左官職の方と香川大学創造工学部学生、水車友の会メンバーの共同作業で完成した。(6月~11月)
●高原水車資料から昭和14年ごろ水車の篩絹(ふるいぎぬ)を購入していた呉服店と連絡が取れ、残っていた篩絹をいただくことが出来た。(8月)
●水車の一部を組立展示するための土台を設置した。野瀬水車大工を友の会が手伝った。(9月)
●例年の蕎麦収穫(11月)
●林小学校3年生地域学習実施。事前にビデオを見てもらい、当日は人数を制限して実施した。(11月)
●もち麦栽培の麦蒔き作業。(12月)
●香川大学学生が水車に関心を持ち、ボランティア参加。コーヒースタンド作製を友の会メンバーが協力指導した。(1月~3月)
●香川大学教育学部教授・大学院生が水車を見学し、その後、リモートも含めて勉強会を開いた。今後交流を続けていくことになった。(1月・3月)
●コロナ禍で、毎年5月に開いている総会は中止したが、毎月末土曜日には水車場を公開し、見学者に楽しんでもらった。新しい友の会メンバーも増えた。お雛祭りの季節には抹茶を振舞うことが習慣になっている。

活動の成果

●早く水力で粉を挽けるようにと願っているが、今年1年間の歩みは少し緩かった。10年間の活動の中で、大切なメンバーが高齢のため亡くなることを経験すると、もっと早く粉が挽けるところを見てもらいたかったと残念である。
●しかしコロナ禍でありながらも、毎月の公開日も元気に開くことが出来、何よりも新しい若いグループとの交流が出来たことはうれしいことである。思いがけず地元の香川大学の学生や教授の方々が、加わって下さったのは幸運である。しかしこれまで遠い九州や阪神、東京から応援して下さった大工さんや大学教授の方たちの努力の積み重ねがあったことを何よりも大切にし、良い関係を保って活動を続けていきたい。
●「水車通信」は5月と12月に発行できた。ホームページなどで発信する準備はしてきたが、時間がかかりやっと一歩を踏み出せた。
●また、水車のまわりの環境が大きく変わろうとしているとき、より深く水車とそれを支える土木遺構の大切さを認識することが出来た。100年以上壊れなかった石組の水路の上を重量級の車両が通ることは、間違っているのではないかと考えるようになった。水路の石組の中にカメラを据えて調査をした私たち水車友の会であるからこそ言えることではないかと思う。活動の成果というには少し抽象的だが、これも進歩ではないかと思っている。

活動の課題

石臼で挽いた粉を上の篩まで運ぶ搬送機構(讃岐では数珠繰りという)の復元には、二通りの考えがある。古い綱と板をそのまま残してそれ以上動かさないという案と古い装置は取り出し保存し、新しい装置を作り動かし製粉作業をさせる案とである。文化庁の了承を得て、後者の方向に進めるのではないかと思っている。その場合新しい装置は「模型」という扱いになる。また、展示も進めたい。
今後の水車の維持管理を個人の力で続けることは難しい。法人組織にするか、大学や公的な機関に協力を頼むかなど困難な課題がある。水車には農地も付属している。

  • 大学生が水車場でコーヒスタンドを作製

  • 長屋の新しい棚に古い水輪を収納する

  • 古い道具を使ってもち麦の種蒔き作業